interview小説家
平野啓一郎氏
Realforce キーボードを10年以上愛用されている平野啓一郎さんに小説家にとってのキーボードについてお話を伺った。
※ 新型コロナウィルスによる感染拡大防止のため、インタビューはリモートにて行われました。
小説家 平野啓一郎 氏 プロフィール
京都大学法学部卒。
1999年在学中に文芸誌「新潮」に投稿した『日蝕』により第120回芥川賞を受賞。40万部のベストセラーとなる。著書に、小説『葬送』、『滴り落ちる時計たちの波紋』、『決壊』、『ドーン』、『空白を満たしなさい』、『透明な迷宮』、『マチネの終わりに』、『ある男』等、エッセイ・対談集に『私とは何か 「個人」から「分人」へ』、『「生命力」の行方~変わりゆく世界と分人主義』、『考える葦』、『「カッコいい」とは何か』等がある。2019年に映画化された『マチネの終わりに』は、現在、累計58万部超のロングセラーとなっている。
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平野氏の IT との関わり
早速ですが、キーボードと平野さんの作品の関わりについて教えてもらえますか?
平野氏
デビューに至るまでに習作的なものを3作くらい書いていますが、2作目の途中からワープロを使うようになりました。
大学生でしたから、ワープロでレポートを書くようになって「これは手で書くよりもこっちの方が楽だな」ということでキーボードを使うようになりましたね。
平野さんは公式サイトの内容も充実されていて IT に対してかなりお詳しいと感じました。これも何かきっかけがあったのでしょうか?
平野氏
ある程度、IT とかに積極的に関心をもって適応していったほうだったとは思います。
25歳くらいのときにショパンとドラクロワという実在の芸術家たちを登場人物にした非常に長い小説「葬送」 を書いた際に、京都の古本屋を片っ端から周ったり、フランスにあるジョルジュ・サンドの記念館まで行って書簡集を買ったり、資料収集にはかなり苦労をしました。その頃に京都大学図書館の検索システムを使ったら、全国の図書館で所蔵している文献が洋書も含めて一発で出てきて、それらが取り寄せられるということが分かって、もうそういう時代だなと思ったんですよね。ただ、初期の頃は「ネット空間だと属性関係ないからタメ口でいいだろ」といった雰囲気がネットカルチャーの人達にあって、その他、デビュー後は嘘や中傷も散々書かれましたし、どちらかというと IT のネガティブな面にちょっとくたびれていたほうだったんです。
転機になったのは、梅田望夫さんが書かれた「ウェブ進化論」 という本です。シリコンバレーの辺りで今どういうことが起きているのかということが書かれていて、それが凄く刺激的で…。
その後、実際に梅田さんと対談して IT の可能性の方に興味を持つようになりました。それからちょっとずつブログなど色々やってきているので結構好きな方だと思いますね。Twitter とかもよく使用していて、暇人疑惑があるくらい更新も多いほうなので(笑)、嫌いじゃないと思います。
公式サイトの管理は、所属しているコルクというエージェンシーがやってくれるようになりましたし、自分自身の関心とコルクの方針とが合致した形で、小説家の割には手広くやっているほうですね。
今回お声がけさせて頂いたのも Twitter で Realforce のことをツイートされていたことがきっかけでした。平野さんの現在の PC 環境をお教えいただけますでしょうか?
平野氏
僕はずっと最初から『Windows』ユーザーです。
『Windows 95』から『98』にかけて一般の人でもパソコンに親しむような時代になって、いよいよパソコンを買わなければとなったときに『Mac』と『Windows』とどっちがいいのかわからなくて。『Windows』を使っている友達に聞いたら「まあ、どっちでもいいんちゃう?」という感じだったのが、『Mac』を使っている友達に聞いたら「そらぁ、Mac やろ!!!」ってそこから30分くらい、いかに『Mac』が素晴らしいか、『Windows』がダメか、という話をされて「俺も Mac 使い出したらこんなふうになるのかな」と完全な逆効果で(笑)、 『Windows』を買いました。今はラップトップとデスクトップの2つを揃えていています。旅先とかではラップトップ、普段は大きい画面のデスクトップで、ブランドとかはこだわりもないのでその時々の興味で買っています。
愛用は『一太郎モデルの Realforce』
実際に今お使いのキーボードを教えてください。
平野氏
Realforce R2A-JP4-BKJ カスタムリミテッドエディションです。
ジャストシステムさんと Realforce のコラボモデルですね?
平野氏
僕は一太郎ユーザーなんですよ。
今は Microsoft Word も使いやすくなっていますが、最初は、日本語を縦書きにしたり原稿用紙設定にしたりがすごく難しくって「一太郎だと書きやすいよ」と言われてから、ずっと一太郎を使っています。あるとき、『一太郎モデルの Realforce』を発見して「これだ!」って思って買いました。
入力方式はかな入力だそうですね?
平野氏
自分の考えていることと文字を入力するまでの間のローマ字変換というプロセスが減って、小説を書くときはより直接書いている感じがします。ローマ字変換のあと更に漢字変換があるでしょう? アルファベットで母国語を入力している国の人たちとかなり違うと思います。それに、例えば「しました」と書くときにローマ字入力だと倍くらい打たないといけないので、覚えられるなら覚えちゃったほうが良いのかなと思います。小さい頃、文字が5行くらいしか表示されないような古いワープロを親が持っていて、遊びで使わせてもらったときにかな入力をなんとなく覚えていたっていうのもあります。
Realforce を初めて手にされたのはいつ頃か覚えてらっしゃいますか?
平野氏
たぶん…12、3年前くらいだと思います。「決壊」( 雑誌『新潮』2006年11月号から2008年4月号まで連載)という小説を書いているときに、最初の Realforce キーボードを買いました。出会いは『モノマガジン』という雑誌に紹介されていたからだったと思います。あとはネットの評判とか。それまではこだわりがなかったから普通にパソコン付属のキーボードで打っていました。
なにかの話で「キーボードによって打ち心地が違う」みたいな話を人から聞いて実際に使ってみたらそれまでのキーボードとタッチがやっぱり違っていて「これは素晴らしいな」と思ってだいぶ周りの人にも勧めました。「やっぱり打ち心地が違うね!」とか(笑)
アイデアを作品と成すために必要なこと
小説を執筆されている際に打った文章はビシッと決まるものなのでしょうか? やっぱり違うなと思って消したりすることはありますか?
平野氏
一行とか一言単位で書き直して、推敲の段階でガサッと何ページか消すことがあります。ワープロとかパソコンを使い始めてよかったなと思うのは推敲が楽だってことですね。
公式サイトに『決壊』の構想資料の写真 が掲載されていましたが、構想段階からかなり綿密に練られていますよね?
平野氏
僕は全体の構成からクライマックスのイメージくらいまで掴んでから書き始めるほうですね。
とくにアイデアはいっぱいあるんですけど、クライマックスのイメージを持てるかどうかが、そのアイデアがものになるかどうかなんです。すごく面白いアイデアでも発展しようのないものもあるし、なんとなく発展できても、じゃあ読者の精神的な高揚感が一番得られる場面がどこにあるのか、ということが重要です。そのアイデアを展開していったときにクライマックスだなって場面が見えてくると「これで小説が書けるな」と思って。そこを目指して書いていきます。クライマックスが掴めたら全体的な構成もある程度決めて書きますね。そうすると途中で行き詰まったりということはあまりありません。
そういったアイデアはどのようにまとめられているのでしょうか?
平野氏
メモもありますし、歩いているときに思いついたことはスマホのボイスメモに録音して後からもうちょっと真面目に考えたりしています。人の本を読んでいて、このテーマだったらこう書いたほうが良いんじゃないか、と思うところからアイデアが浮かぶこともありますし、アイデアの浮かび方というのは色々ありますね。
執筆のスタイルと『Realforce』の使用感
実際1日にどれくらいの時間を創作にあてられているのでしょうか?
平野氏
今は執筆自体は5、6時間くらいじゃないでしょうか。後はこういう取材とか色々あります。20代の頃はワーカーホリックだったので14時間とか働いている時期もあり自分も充実感がありましたけど、ちょっと良くないなとあるときに思ったのと、結婚して子供が生まれたりして現実的にそんなことは無理になったので最近は5、6時間ですね。
その間はずっと PC の前に?
平野氏
そうですね。ただ僕は物凄く休憩をよくとるんですよ。大体30分に1回くらい。ボクシングでラウンドを重ねていくのと一緒で、休憩なしで1時間戦うと途中からダラダラしてくるでしょう? でも3分ずつ戦って1分間休憩、みたいな感じだとフルラウンドでも動ける。それに似ていて、ちょっとした休憩でその都度集中力も高まります。その合間にちょっとネットで調べ物でもしようかと思ってつい寄り道して SNS を見るとしばらくツイートとかして仕事を再開するのが伸びちゃったりするんですけど…。
SNS は時間を奪いますよね。創作や SNS など PC 操作において Realforce の使用感はいかがでしょうか?
平野氏
調子が悪くなったっていうのがないから、良いんじゃないですか(笑) 僕はどちらかというと押したときのこの感触が好きなんですよね。
感触が好き?
平野氏
はい、だから使っています。それまで僕が使っていたデスクトップに付属してくるキーボードよりも「まろやか」な深みのある音というか。押していて良い感じだなって。
その Realforce の押していて良い感じというのは?
平野氏
押し心地で言うと「なんとも言えない食感のグミを噛んでいるとき」みたいなちょっと癖になる感じです。そんなに固くはないですけど、もちろん。あとは音ですかね。角の立たない良い音ですよ。ずっと使っていて、正直言うと Realforce を使っているという意識もないくらいストレスがない。そういう意味では体が馴染んで使い心地がいいんだと思いますね。だから人それぞれだけど、僕は凄く気に入っています。「決壊」以降はほぼすべて Realforce を使って書いていますね。
文学賞の選考委員と平野氏の発信について
芥川賞選考委員になられていますが、どういったプロセスで委員になられたのか伺ってもよろしいでしょうか?
平野氏
僕もあんまりよく分かっていないのですが、主催の日本文学振興会が話し合って決めているんでしょう。良い作品を書くことと批評的な能力が高いというのは別のところもあって、作品について感覚的な話だけじゃなくて分析的に読んで議論をしなきゃいけないので向き不向きもあります。そういう意味では、僕はよく喋るし批評的な仕事もしているので向いていると思われたんじゃないですかね、たぶん(笑)
確かに当初の勝手な印象と違って、よく喋られる方だなと感じました。
平野氏
喋ることは好きですし、僕は九州の出身なので実家の皆がよく喋るんですよね。正月はインドのストリートみたいな感じでワーって色んな方向から車が来たり人が移動したりしているから、ボーッとしているといつまで経っても信号渡れない、みたいな。どっかで隙を見つけて自分が喋りださないと永遠に話せない環境の中で育ったので、喋ることに関しては子供の時から結構鍛えられている気がします。
今回のインタビューは Realforce ユーザーももちろん拝見されると思いますが、初めて平野さんの作品に触れる方におすすめの著作はありますか? 最新作は「本心」ですよね。
平野氏
もう連載は終わっていますが単行本化はまだ先だと思います。
一応、最新作が最高傑作であるように常に努力しようと思っていますので、単行本化された中では「ある男」 という小説が最新なので、まずはそれを読んでもらえたらと思いますね。気に入ってもらえたら1つさかのぼって「マチネの終わりに」 を読んでもらって、更に気に入ればその前の作品に。だんだんさかのぼっていただくのが僕の場合はいいみたいですね。こだわりをもって「デビュー作は読むべきだ」と言ってトライしてくれる人もいますし、それは嬉しいことですが、デビュー作の「日蝕」 から始めて挫折したっていう人もいますので(笑)
そういえば公式サイトの方でも、平野さんの愛読者によるオススメの読み方を紹介されていましたね。
平野氏
せっかく僕に関心を持ってくれても、やっぱり本は1発目で合わないとたぶんその後3〜5年くらいは僕の本を読まないと思うんです。下手したら一生読まないかもしれない。だからいろいろ書いているものが増えてくると、最初に何を読んでもらって次に何を読んでもらうかというのは、ある程度ガイドがないと読者にフィットしないということが起きてきます。一方的に提案するよりも、僕の本を気に入ってくれている人たちの意見を掲載させてもらっています。
作家の方で、自分の作品だったらこう読んでほしいと自分から発信されている方はかなり珍しいという印象があります。
平野氏
内容は好きに読んでもらうしかないですけど、手に取ってもらうまではこの情報過多な社会ですから。色んなことが web で起きていますし、時代の要請な部分はあります。小説家みたいな個人事業主が自分のできる範囲で宣伝をしたり、読者と交流をはかっていこうとするとやっぱり web が一番効果的です。一人で全部やるのは難しいのでエージェントと一緒にやっていて、実務的な部分は全部エージェントにやってもらっているから、できているのだと思いますけどね。
小説家がインターフェースに求めるもの
最後に作品の中でキーボードに対するこだわりが出た描写などは今までありましたか?
平野氏
キーボードの描写をどこかでしたような気もしますが、あんまりこだわった描写というわけではなかったと思いますね。そんなたいした言及の仕方じゃないと思います。
平野さんにとっては、それくらい日常に馴染んでしまっているんですね。
平野氏
やっぱり、意識もしないような存在になっていることが、インターフェースとしてはある意味一番成功しているってことなんじゃないかなって気がします。小説を書き始めたときには、手書き派という人たちがある年齢以上はいました。「あんなキーボードをカチャカチャやっていて文学が書けるのか」って(笑)
自然に湧きおこってきたものが文字になるまでの間にキーボードを打ったり漢字が変換されたりというプロセスがあったりするのが「自然な発露を阻害している」という主張の批判が一番多かったと思います。そういう意味でいうと「画面に表れている文字と自分が一体になっている感覚」というのがやっぱり小説を書くときに重要だと思います。普段は「Realforce のキーボードを打っている」ということを特段意識しないということが、僕が愛用している理由なのかなっていう気がしますね。